結婚したら二宮に住もう!

二宮町の広報誌を担当されてきたYさんから(2020年4月10日)

二宮町の広報誌を担当されてきたYさんから(2020年4月10日)

2017年4月から3年間、二宮町役場で広報誌を担当されてきたYさんが4月の異動で他部署に移られ、そのYさんからメッセーシが届けられました。
このサイトでは二宮町の広報誌を「遠くにお住いの方にプレゼント」していますが、いつも受け取っていただいた方から「二宮の温かい雰囲気が伝わってきますね」とお褒めの言葉をいただいています。
Yさん、長い間お疲れ様でした。

<Yさんからのメッセージ>

画像の説明

 私は二宮町役場で「シティプロモーションの担当だった」Yです。
「だった」というのは、この4月1日付で人事異動となったためです。(涙)
 2001年の入庁以来、商工業・観光・廃棄物・子育て・社会福祉・都市計画と渡り歩き、様々な経験を積ませていただいてから、2017年4月に広報の担当となりました。
 広報担当といっても、広報紙の制作・発行、町ホームページなどの管理、あるいは国勢調査などの統計業務などと様々な業務があり、その一つに町の重要施策の1つとして数えられる「シティプロモーション」がありました。
 
 異動した時には、移住施策を戦略的に進めていくための「シティプロモーション戦略」が策定されたばかりで、私の役目としては、町のPRキャラクター「ニーノとミーヤ」をはじめ、この町が大好きな人「にのみやLOVERS」などの町民の皆さんと共に「ひたすら移住施策を前に進めること」でした。

 実は私自身も、2歳の時に横浜市から二宮町に引っ越してきた移住組です。
 横浜市での記憶はほとんどなく、「この町で生まれ育った」というより、「この町の温かい雰囲気や温かい人々に育てられた」という言葉がマッチします。
 たくさんの思い出が詰まったこの町に対して、私はとても強い思い入れがあり、今ではそんな町の仕事に携われて「幸せ者」の一言に尽きます。
 正直なところ、そんな私も学生の頃は「郡」「町」に住んでいるということに恥ずかしさを感じ、「市」に憧れをもっていました。
 でも、大人になった今、子育てをする身となって、また、私と同じ数だけ年をとった父母も同じ町内に暮らす中で、恥ずかしさなんて気持ちは全くなく、むしろ「この町に住んで良かった」と思うと同時に、親に対して「40年前、二宮町への移住を決めてくれてありがとう」と思うほど、「私にとってはとても魅力的な町」です。

 3年間、大好きな二宮町を宣伝する業務を担わせていただいたわけですが、移住セミナーや移住イベントなどでは当たり前のように「二宮町に住む魅力は何ですか」と質問されます。
 私は役場職員であると同時に住民でもあるわけですが、全国どこの行政でも、発信する内容に「信用性はある」ものの「信憑性には欠ける」のではないかと思っています。
 特に、人口減少・都市一極集中という課題に直面し、ICT技術の発達・普及がある中で、インターネット上には「移住」という言葉が並び、行政が人の取り合いをする時代になっている感も否めません。
 そうした中、この町のシティプロモーションの柱は「町民の生の声を届ける」という手法で、行政はできるだけ前に出ず、実際に移住された方を主とした町民の方々が移住相談などに応じるというものです。
 町民の生の声ですから、ネガティブなことについても包み隠さずお話しいただいているので、先ほどの「信用性」は「信憑性」へと化けていきます。もちろん、私たち行政職員も移住セミナーなどには随行し、各種制度などのご質問にはお答えさせていただきますし、役場へのお問い合わせやご訪問などがあった際には、このサイト管理者のTOSHIさんがキーマンとなって相談に応じるだけでなく、時には町中のご案内や実際に住民の方々と繋がっていただくなど、「たくさんの町民の方々と行政が連携している」と日々感じながら、取り組みを進めてくることができました。
 
 話しは戻り「二宮町の魅力」ですが、「魅力=移住の決め手」だと思います。従って、そのご判断は「相手→移住希望者」になります。
 私はこの町が大好きです。私にとっては、たくさんの魅力があふれた町です。
 「自然が豊か」という言葉を一つとっても、その豊かさ、ちょうど良さを決めるのは、人によって見方、捉え方は様々です。
 だから、あえてこの場で私が考えるたくさんの魅力はお伝えしませんが、一つだけお伝えしたい、お勧めしたいこの町の最大の魅力はというと、「この町に暮らす温かい町民」です。
 この魅力は、住んでみないとわからないことかもしれませんが、この町でのんびりと心穏やかに過ごす町民の皆さんがいるので、私はずっと住み続けたいと思いますし、この町に住んで良かったと思っています。
 移住を希望される方が、もし、二宮町を選択肢に入れていただけるのなら、ぜひ、お気軽にお問い合わせなどいただければ、温かい町民の方々や私が信頼する担当職員なども、親身になって相談に乗ってくれるはずです。

 あっという間の3年間、とても濃い3年間でした。
 その中で、たくさんの方々に出会え、共に過ごすことができたので、新しいこの町の魅力も発見でき、とても充実した時間を過ごすことができました。

 TOSHIさんは、私の父親世代です。
 そんなTOSHIさんから、ある時に教えていただきました。
 元アメリカ大統領のケネディ氏のお言葉です。
 「国が国民のために何ができるのかを問うのではなく、国民が国のために何ができるのかを問うて欲しい」
 私は、広報担当ではなくなりましたが、もちろん、違う部署にいっても「この町のため」にお仕事をさせていただきますが、ずっと住民であることに変わりありません。
 一住民として、私がこの町のためにできることを考えると、これからもこのシティプロモーションにずっと関わり続け、皆さんとともに「この町のお仲間づくり」のために住民の立場で声を届けていきたいと思っています。
(M・Y)  

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