結婚したら二宮に住もう!

vol.19「夜咄の茶事」

vol.19「夜咄の茶事」

 茶道の世界に「夜咄(よばなし)の茶事」というものがあります。厳冬期(冬至から立春くらい)の夜に催される茶事で、凛とした空気、そしてかすかな蝋燭の光の中でもてなす側ともてなされる側が心の糸を紡ぎ、そして織り上げていく、そんな大人の遊びです。

 本当はこのネタは、先月、書くつもりでした。あんなことも、こんなことも、どひゃーっとあった、この2か月。「あ、あそこまで登れば、頂上だ!休める~!もうひと踏ん張りぞ。」と自分を励ましてたどり着いた場所は、ニセピークだった!(山の縦走であるあるです。)が延々と続きました。さらに険しい上りが続き、気が付くと、ナ、ナント、桜咲いちゃってるじゃないですか。そんな春真っ只中の下界に極寒の山から下りてきた遭難者のようで、多少の躊躇もありますが、そんなことを言っていたらこのコラムは続けられません。桜、見なかったことにして、このネタで突き進みます。

 もう15年くらい前になるでしょうか。庭師仲間で茶室を借りて「夜咄の茶事」を行いました。茶室の冷え切った空気。炭の爆ぜる音。釜の音。和蝋燭の炎のゆらぎ。かすかな光に浮かび上がる軸の文字、一輪の花。知らず知らずのうちに五感にこびりついた贅肉のような物を極限までそぎ落とした時、見えてくるものがあるとその時初めて知りました。
 「コロナ禍で、当たり前と思っていた暮らしができなくなり、本当に大事なものが見えてきた。」と多くの人が言います。私もその一人です。あの日の茶事で感じた想いと同じだなあと思うんですよね。
自分にとって、何が一番か。何が心地よいか。考えて出した答えではなく、直感を信じよう。そう思います。

 「いつか、やろう。」そう思って先延ばししていたことを、昨年末、始めることが出来ました。
 愛すべき吾妻山斜面に広がる、放置され荒れ果てた竹林(最終的には、山本来の姿である雑木林に戻せたらと思います。)の整備をしたくて、20年近くむずむずしていました。意を決し、地主を見つけ交渉し、仲間を集い、荒れ地に足を踏み入れる。たぶん、コロナ禍の心境の変化がなければ、未だに踏み出せず、むずむずを募らせていたに違いありません。

 「いつも癒してくれて、ありがとう。吾妻山に恩返しプロジェクト」などと勝手に名付けていますが、「この状況(山の荒廃)はヤバそうだ。」という自分の直観が原動力になっています。五感を研ぎ澄まし、自然の声に耳を傾けて、何年か何十年か先のことを思い描くと、行きつく先は「これは、たぶん、きっと、ヤバい。」なのです。そして何より、見ていて自分が心地よくない。

 先日、TVで大人のパンダが雪の斜面を滑って遊んでいる映像を見ました。ああ、この感覚近いなあってうれしくなりました。「恩返し」とか「ヤバい」とか、もちろんその気持ちは嘘ではないけれど、突き動かしている想いは「楽しい」からなのですね。枯れた竹を足でへし折った時の「パカーン」という音が林に響き渡ります。まさに、ボーリングのストライクに似た爽快感。腐葉土が雪のように積もった斜面を四つん這いになりながら登ったり降りたり、時にはパンダのように滑ったり。人間も動物も「楽しい」に理由なんてないんですね。実はこれ、私の目指す、どろんこLifeそのものなのです。
畑づくりや、植木切るのもメチャクチャ楽しいんだけどね。いやあ、山の斜面駆け回るの、ちょー、幸せっす!
(2021-3-24)

画像の説明
私のような奴もいる

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional