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としの書き物

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南大東島

昨年末12月に沖縄の南大東島に行って来ました。台風の時に名前だけは良く聞くので、知っている人の多い島だと思います。

今から20年ほど前、沖縄に向かう飛行機の機内誌で、沖縄電力が社内ベンチャーを募り、若い女性が南大東島でサトウキビを原料にしたラム酒を作るという企画が通り、実現したという記事を読みました。
この島は沖縄と言っても、他のほぼ南に連なっている島々とは異なり、沖縄本島から東に約400km離れたロケーションにあります。
それまではサトウキビによる製糖産業しかなかった島に、そのラム酒づくりがどんな変化をもたらしているのか、自分の目で確かめたいというのが訪問の目的でした。

沖縄本島の那覇から1週間に1度程度、夕方出発して翌朝に着く船も出ていますが、1日2往復の飛行機が便利でした。40人乗りのプロペラ機で、約1時間です。
空から見る島は一面サトウキビ畑。島の周囲に沖縄特有のビーチは見当たりません。周囲全体が断崖絶壁です。

タクシーやレンタカーはないので、訪問客にとっての移動手段は空港で借りるレンタサイクルだけです。
1周すると約20kmの島内は平坦で快適に移動できます。ただ道路にほとんど標識がないので、よほど注意していないと、今どこにいるのかわからなくなります。通りがかりのクルマに手を挙げて教えてもらうことが何度かありました。
12月ということもあってか、私のようにレンタサイクルで走っている人は見かけなかったのです。

唯一、漁港があるというので行ってみたのですが、10トン程度の漁船が入港できる程度の小さな港でした。沖縄本島から来る数百トン級の船は入れないので、乗客は貨物と同じようにクレーンで吊り下げたゴンドラに乗って上陸します。

この島に人が移り住み始めたのは100年余り前。村役場に寄って、広報誌をもらったり、掲示板を見ていたら、移住125年を記念して子供たちがタイムカプセルを埋めたという掲示がありました。
八丈島からの移住がメインだったようで、お昼に寄った食堂では八丈島名物の島寿司が食べられました。

沖縄県の資料によると島を訪れる観光客は年間3000人。つまり1日10人ということになります。これでは観光産業は成り立たないでしょう。島の人口は約1000人です。

ラム酒の工場に行こうと電話してみたのですが、目印になる標識もなく、結局行き着けず、創業者の方とのお話もできずじまい。
島内にある2軒の商店(小規模なスーパー)には店頭にラム酒が置いてあり、購入したのですが、商店の人とは話題が広がることもなく、その事業が島に与えた影響はほとんどなかったように感じました。

その後訪れた石垣島では、古くからの泡盛メーカーが南大東島に影響されたのか、最近になってラム酒づくりを始めたというのが、及ぼした影響だったように思います。
何事も動いて自分の目で確かめることが大事だと感じた旅でした。
(2026-1)

小さな挑戦 最終章 (あるメディアへの寄稿)

日本には少子高齢化や人口減少の大きな波が押し寄せてきています。そんな中で小さな自治体がどう生き残っていくかはたいへん大きなテーマです。
いつだったか、消滅可能自治体というあるレポートが話題になったことがありました。私が住んでいる神奈川県の小さな町も初めはそのリストに入っていていましたが、今では見当たらなくなりました。
自分の住んでいる町で、自分のできる範囲でささやかに問題解決に向けて取り組む中で、これまで何度か「小さな挑戦」というタイトルで寄稿させていただきました。
今回はその最終章として、これまで経験した様々なことに触れてみたいと思います。

人口問題を語る時に二つのとらえ方があります。
一つは人口の自然増減、もう一つは人口の社会増減というとらえ方です。
自然増減は、出生者数と死亡者数の差です。団塊世代が人口ピラミッドで最も横に広がった世代で、その世代が平均寿命に近づいている訳ですから出生数をはるかに上回るのは避けられないことだと思います。
社会増減はあるエリアに転入して来る人の数と、そのエリアから転出していく人の数の差です。
自然増減と社会増減の和がそのエリアにおける人口の増減ということになります。

どこのエリアにおいても自然減は避けられないことだとすると、人口問題を解決するには社会増減を増やすことしかありません。
エリアを「日本」全体と考えると、人口を増やすには(社会増減を増やすには)海外からの移民を受け入れることを推し進める以外に方法はありません。とはいえ、それは日本だけの都合で進められることではないし、そういう考えに反対する人も少なくないので難しいテーマです。
ただ、そのエリアを自治体単位で考えると、さほど難しいことではないと思います。
つまり他のエリアからの移住が増えればよいことで、同じ国内ですから特別な制約もありません。

というわけで、「移住」という言葉が最近よく聞かれるようになりました。
最も目立つのは東京から地方への移住です。それを全国的規模で推し進めている組織もいくつかあります。
政府も十年ほど前に「地域起こし協力隊」という制度を設け、多額の投資をしています。

私が取り組んでいるのは、東京などの都会に住む子育て世代に自分の住む町に移り住んできてもらう活動です。子育て世代が増えれば平均年齢も下がります。
多くの自治体は移り住んでもらう人たちに経済的な援助をしたりしていますが、私の住む自治体ではそういう余裕がありませんし、長い間活動してきて、そのことがかえって良かったと感じています。

つまり経済的な援助があると、その土地が好きか嫌いかより、「いくらもらえるのか」ということがまず先にきます。その土地が自分が求めている暮らしに合うか合わないかを考える前にです。
住んでみて合わなかったと感じたら、また元の土地に戻ってしまうことも少なくないようです。

お金がない、経済的な特別な支援はできない代わりに何ができるのか(何があるのか)、それを試行錯誤しながら考えてきました。
ある時、それが「人」であると気づいてからは活動の柱がブレることなく進められるようになりました。

自治体(行政)と連携して、直接の面談形式やオンラインでの移住相談会を定期的に開催しています。相談者さんに対応するのを自治体の職員の人ではなく、何年か前にこの町に移住してきた先輩移住者さんに複数でお願いしています。
よくある、良いことばかりを説明するパターンを聞き飽きている人たちにとって、良いことだけではなく、良くないと感じていることも率直に話してくれる先輩移住者の人たちの生の声はとても説得力があります。
話の中で、相談者の人から「日々の生活で困ったことは何ですか」と聞かれ、「う~ん」と考え込んでしまう先輩移住者の人たちの姿がとても印象的です。きっと相談者の方もそれに何かを感じるのだと思います。

そんな場を経てこの町に移住して来る人たちが少しずつ増え、その人たちが先輩移住者として今度は相談を受ける側に回る、そんなサイクルが出来つつあります。それは相談会という場以外に、日々の生活の場でも言えることだと思います。

以前には、駅前にタワーマンションを建てれば一気に人口が増えるんだ、そんなことを話している人が少なくありませんでしたが、最近ではほとんど耳にすることはありません。そんなことをして一時的な人口増になっても、将来のことを考えると決して良いことではないと思うようになったのでしょう。
地道にこの町を好きになった人たちが増えていき、人口問題も社会増減の数字で語られることが多くなってきたように思います。

小さな挑戦を始めて10年あまり。ここ7,8年は社会増が続き、2024年度(2023年4月~2024年3月)も社会増で終えることができました。その数字は決して大きなものではありませんが、プラスの動きが続いていることに大きな意味があると考えています。

(2025-6-29)

「世界と話そう、夏休みの子供たちへ」

2009年に横浜で約半年間にわたって「開国博Y150」という大きなイベントが開催されました。
横浜港周辺では企業パビリオンなど華やかなイベントがたくさんあったのですが、もう一つの会場(ズーラシア動物園の近く)で様々な市民活動をベースにした多くの手作りの催しが開催されたのはあまり知られていないかも知れません。
私は横浜市民ではありませんが、あるきっかけでそこに参加することになりました。

百数十人の市民が参加し、それぞれに自分たちの考えるテーマで10~20坪ほどのブースを設け、1~2週間、代わる代わる交代でイベントを運営していくものでした。基本的にはボランティア活動です。

私の考えた企画のタイトルは「世界と話そう、夏休みの子供たちへ」というものでした。
日本人は江戸時代の長い鎖国時代を過ごしてきたことや、島国であることなどから、外国の人に対するアレルギーがまだまだあるのではないかと感じています。小さな子供の時に、身近に肌の色、目の色、髪の色(そして、当然言葉も)の異なった人たちと接することでそれが少しでも取り除ければいいな、と考えました。
それを企画書にまとめ、提出したら、無事審査を通過し、運営予算も出ることになりました。

それからが大変でした。企画が決まってから開催まで約1年。
主旨に賛同して準備や会期中の運営を一緒にやってくれる仲間集め。これはさほど難しいことではありませんでした。私を含めて8人のメンバーが揃いました。年齢層も20代から70代まで。1年後の大きな目標に向けてにぎやかで楽しいミーティングが続いたものです。
問題は、テーマを理解してボランティアに近い形で協力してくれる外国の人たちを集めることでした。

画像の説明

考えていたのは「語学スクール」ではありません。小さな子供たちと、「言葉は通じなくても人と人の気持ちは通じ合える」ということを実践してくれる(横浜近辺に住む)外国の人たちを探すことは当初考えていた以上に難しいことでした。
私たちの持ち時間(開催する日数)は2週間。できれば毎日異なる国の異なる人たちにお願いしたかったので、目標人数は14人でした。
この時ほど人のネットワークの大切さを感じたことはありません。

これ以上延ばせないという、開催まであと3か月の時点で13人が集まりました。
そのあと、我々運営スタッフ8人を含めた全員でのミーティングを実施しました。外国の方には個々にご説明はしてきたのですが、やはり全員が集まって気持ちを同じにするということはとても重要なことでした。
集まっていただいた人たちの国は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ネパール、中国、カナダ、バングラデシュ、コスタリカ、計9か国、13人。
日本語が達者な人から、ほとんど話せない人まで様々でした。ほとんど日本語を話せない男性二人はそれぞれ日本人の奥様がついてサポートしてくださいました。

小さな子供たちとのコミュニケーションの方法は、それぞれが自分の得意なことを活かして考えていただけました。子供たちと絵を描いたり、歌ったり、ゲームをしたり、写真やビデオ映像を使って母国の紹介をしたり。話し合っているうちにいろいろなアイデアが出てきました。

あわただしかった準備期間があっという間に過ぎ、いよいよ私たちの開催当日を迎えました。8人の運営メンバーが毎日3、4人でグループを組んで分担しました。
会場は大きなテント屋根のオープン会場です。7月の暑さは少しきつかった時もありますが、それより周りを緑で囲まれた会場の雰囲気はとても良かったと思います。

画像の説明

初日は横浜の大学に交換留学で来ていた学生たちにお願いしました。イギリス人の男性、アメリカ人の女性、フランス人の男性の3人組みです。13人の人たちが決まったあと、それぞれのキャラクターを考えて、複数の組み合わせというやり方も考えたのです。そのかわり可能な人には2日間担当してもらうこともお願いしました。
8月末には1年間の留学を終えて母国に帰ることが決まっていた彼らは、よい記念になると一生懸命頑張ってくれました。最初に集まってきた小さな子供たちが楽しんでいると、自然にまた他の子供たちが集まってきます。
3人は前もって相談していたのでしょう、ゲームや歌や映像などを使った母国の紹介などをやってくれました。さすがに日本という国を選んで留学してきただけあり、日本語はとても上手でした。面白かったのは3つの国の文化の違いが出てきて、子供たちの前で「それは違うんじゃないか」と議論を始めた時です。それも日本語でやってくれたので、子供たちにはとても勉強になったと思います。

ネパールの女性と中国(南部の昆明)の女性、バングラデシュの男性は自分の国の民族衣装を身に付けて子供たちと接してくれました。

子供たちは私たちが考えていたのをはるかに超える許容力を持ち合わせていました。
ブースの前を通りがかった親子連れに参加を呼び掛けると、お母さんは「うちの子供は英語がわかりませんから」と言って通り過ぎようとします。そうすると子供のほうはすでに参加している他の子供たちの姿を見て、さっと自分も加わって行き、楽しそうにしているのです。
しばらくしてそのお母さんに声を掛けると、「オトナは考え過ぎなんですね。反省しなきゃ」とお話しされました。

私が2週間の間で一番感動したことがあります。今回の企画意図とは直接関係ないことなのですが。
ある時、2歳くらいの男の子を連れたお母さんがブースに立ち寄りました。ちょうど休憩時間だったので外国の人はその場にいませんでした。
男の子はブースの片隅においてあったある外国の絵本に興味を持ったのでしょう、立ち止まって見始めました。
5分が過ぎ、10分が過ぎ、何時までも見ています。その間、お母さんは横でじっと子供を見つめているだけです。そのうち少し離れたところにあったもう一つの絵本を見つけ、また見始めたのです。その時もお母さんは横でじっと見ているだけです。
20分近くたって、ようやく男の子は私たちのブースを離れていきました。
私が感動したのは、その間、お母さんは一度も「早くしなさい」とか「もう行こう」とか言わなかったことです。お母さんも男の子も、とても素晴らしい笑顔だったのを今でも思い出します。

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あっという間の2週間が過ぎ、我々8人は語りつくせないほどの感動や経験をしました。
協力していただいた外国の方の何人かとは今でもお付き合いさせていただいています。
横浜の大学の留学生6人はそれぞれ母国に帰りました。その後、大学を通じて会期中の映像をまとめたDVDをお送りしました。

カナダの絵の得意な(日本語の苦手な)男性は、会期終了後、私の知り合いが経営している保育園に週に1回行くことになりました。一度その保育園を覗いてみたのですが、子供たちがとても楽しそうに彼と接していました。

子供たちとのコミュニケーションという点では13人中ピカイチだった人とはその後もいろいろな場でご一緒しています。彼は単に日本語が堪能ということだけではなく、人が人とコミュニケーションしていくということに対して最高の能力を持ち合わせていると思います。
彼と知り合った翌年のお正月、彼からもらった年賀状は、それを見た妻が最後まで彼がアメリカ人だということを信じてくれないものでした。

こんな企画を考えた私も、実は英語はおろか他のすべての外国語が苦手です。普段は簡単な英会話すらできません。でも、仕事の現役時代に何度も経験したのは、現地(外国)に行って二日もすると日常のコミュニケーションに困っていない自分の姿でした。
人と人の意思疎通は言葉以上に大事なものがある、ということをその経験から学び、それがこの企画のスタートだったような気がしています。

一緒に取り組んでいただいた運営メンバーの人たちや13人の外国の方々以外にも、このイベントを通じて本当に多くの人たちとの出会いがあり、私の第二の人生がよい形でスタートすることができました。改めて皆さんに感謝しています。

会期中のある日、その日担当してくれていたアメリカの留学生に「私たちが今やっているこれを英語のタイトルにするとどうなる?」と聞いてみたことがあります。返ってきた答えを最後にご紹介して、私の貴重な体験レポートを終わりにしたいと思います。
「Hey Kids! Let`s communicate with the world!」

(2017年4月)

「知られざるハワイの英雄たち」

先日国際線の飛行機の中であるドキュメンタリー映画を見ました。
太平洋戦争の時、アメリカ西海岸に住む日系人たちが強制収容所に収容されたことは有名です。その数は10万人以上。ところがハワイでは、同じようなことがあったという話を聞いたことがありません。以前から疑問に思っていました。
そのことがテーマのハワイで制作されたドキュメンタリーでした。

戦前から多くの日本人がハワイに移住していました。戦争はその2世や3世たちが成人する時期でもありました。
ワシントンからはハワイにも強制収容所を作れとの指示が来ます。それに体を張って反対した3人のアメリカ人たちの物語です。
一人は地元警察で情報担当の警察官(バーンズ・のちにハワイ州知事)、もう一人はワシントンから送り込まれたFBI職員,最後の一人はハワイ駐在が長い陸軍の幹部でした。

ワシントンは日系人に接したこともないのに、日系だというだけで敵視します。
彼ら3人は、自分たちが実際に見聞きした「事実」だけを元に、日系人はアメリカを愛し忠誠心を持っている人たちだと終始訴えます。
ハワイで軍に所属していた日系人たちがある時除籍されるのですが、彼らは自主的に軍施設の周辺の土木建築現場で働き始めます。それを見た軍は彼らを軍の施設で寝泊まりさせるようになります。

その後、日系人たちで組織する部隊(442連隊と呼ばれた)ができるのですが、バーンズは「まもなく戦争は終わる。終わった後に日系人たちが社会で不利な立場に置かれないように」と日系人たちに部隊への参加を呼び掛けて回ります。
バーンズは貧しい母子家庭に育ち、多くの人種が一緒に住むエリアで育ったという経験の持ち主で、それが彼の考え方の元になったのでしょう。
FBI職員は日系人の若い女性を一緒に住まわせる生活を送り、軍の幹部はハワイの軍のトップを説き伏せ、自ら何度もワシントンに出かけます。
そんな3人の努力で、結局はハワイでの日系人強制収容所は実現しませんでした。日本軍が戦争の口火を切った真珠湾があるあのハワイで、です。

やがて戦争は終わります。
大統領はハワイの442連隊に所属した日系人たちをワシトンに呼び、自ら感謝と激励のメッセージを送ります。日系人たちは改めてアメリカという国の素晴らしさを感じます。

その後、バーンズは政界に出ます。当時ハワイは共和党が中心。本土の大資本がハワイの産業の大半を牛耳っていて、貧しい人たちが多かったハワイで民主党が多数を占めるようになり、社会が変わっていきました。
バーンズはやがて州知事になります。そして、多くの優秀な日系人たちを巻き込んでいきます。
バーンズが2期州知事を務めた後、ハワイ州知事になったのは日系人でした。

私がずうっと持ち続けているテーマ、「国とは何か。国というものの存在が地球上の人類を不幸にしているのではないか」ということを改めて考えさせられる見ごたえのあるドキュメンタリーでした。

(2015年1月)

ほんのさわりだけですがここでご覧になれます(邦題が少し変更になっています)→https://vimeo.com/118754238

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