にのみや どろんこLife
にのみや どろんこLife
蔵門の「にのみや どろんこLife2」

「農ある暮らし」をライフワークにされている蔵門さんに、2016年からコラムをお願いしています。
毎回興味深いテーマがたくさんありますので、バックナンバーもすべてお読みいただけるように編集しています。
vol.28「身体の声を聞いてあげよう」
「そうか!この時間が足りなかったんだ。」あまりにも答えが身近にありすぎて、逆に新鮮な驚きです。お風呂の湯船にゆっくり浸かり、ぼーっと思考の栓を緩める時間。なんとまあ、久しぶりでしょう。
長すぎる夏は、風呂場をシャワーを浴びるだけの空間に変え、長湯する暮らしがあったことすら、すっかり忘れておりました。
このコラムの投稿が久しくご無沙汰なのは、根が真面目なワタクシですから、えー、えー、気になっておりました。しかし、溶け落ちそうな脳みそでは会話もままならず、発する声も言葉とは識別しがたい「わぁ~つぅ~い~(あつい)」を連発する日々。10文字以上の文章を書くなんて不可能に近かったと断言できます。そう、外仕事を生業にしている者たちにとって、この暑くて暑くて暑すぎた長い夏は、まさに地獄でありました。
ということで、ほぼ慣例となりました、投稿がご無沙汰な言い訳、かなりの行を使って綴らせていただきました。
長い夏のトンネルを抜けて、ようやく仕事以外にも体力を回せる自信が戻ってきた10月、久しぶりに秋山登山に行ってまいりました。テントを背負って山中3日の北アルプス。快晴の稜線をルンルン歩いて帰ってきました。
秋山とは言え、標高3000mくらいになると防寒着もかなり増え、ザックの重量問題が深刻になります。そんな中、食料計画は、遊び心、ご馳走心をそぎ落として最小限にせざるをえません。今回は泣く泣く、乾燥米(山菜飯、ピラフ)、乾燥ビーフシチュー、パスタ、インスタントラーメン、ビスケット、てなもので命をつないだ数日。
ちなみに私は菜食主義ではありません。ワインにステーキ、日本酒に刺盛、思い浮かべたらヨダレが出るくらいお肉もお魚も大好きなフツーの女の子(!?)。ただ、人と違うのは一食に占める野菜の摂取量が半端なく多いことでしょうか?いつも書くことですが、畑で採れてしまう大量の野菜を無駄なく消費するためだけに生きていると言ってしまえるくらい、何種類もの野菜を毎日どさっと体内に吸収する生活を20年以上続けています。前述の山の食事はもはや絶食に極めて近い絶野菜といっても過言ではありません。
準備のバタバタも含めて4日間、日増しに体調の変化を感じてはいました。絶食と同じ効果なのでしょうか。しだいに身体の声が聞こえてきます。最初のうちは遠慮がちに「えーっと、野菜、もそっとなーい?」から始まり、2日目には「すみません、いつものやつ、いただけません?」。3日目には「おら、おら、青いやつと黄色っぽいやつ、それからフレッシュ果物もってこんかいっ!」。身体の叫びがしっかり聞こえるから不思議です。
なんとか声の主をいさめながら、帰宅後、荷物の片付けも終わらぬうちに、需要と供給のバランスが崩れた畑へ走ります。こちらでも「おらおら、はよ、採らんかいっ。」とスゴんでる野菜たち(空心菜、つるむらさき、オクラ、シカクマメ、ナス、カボチャ、サツマイモ)を一目散で収穫して体に詰め込んであげました。ポパイのほうれん草(わっかるかなぁ)ほどの即効性はありませんが、じわじわ半日置きぐらいに身体に精気が戻ってくるのを実感。やがて「やいのやいの」とうるさい声は聞こえなくなりました。
自分の心と向き合うのは、案外コツがいるのかもしれないけれど、私の身体の声、めちゃくちゃシンプルです。
今日は、涼しいを通り越して、晩秋を感じさせる雨の一日。
今年初物の冬瓜を煮て、スープを作ります。
この夏は、人間だけじゃなくて、植物も昆虫も動物もみんな叫んでいたんだろうなあ。口から発した言葉以外の声は、耳を傾ける側の心の状態で聞こえたり聞こえなかったりするからね。
まずは、自分を整えなきゃです。
スープに入れるショウガを刻みながら、しみじみそんなことを思ったりするクラモンでした。
(2023-10-13)
vol.27「ふきの季節」
桜の花がちらほら咲き始めた頃、道端の無人販売所を通り過ぎようとして「あっ!」と振り返りました。「え~、もう、フキ~?」
♪「季節の変わり目さえ気づかない程、ぼんやりしているあなたに~」という歌があったなあ。
今さっきまで畑でくつろいでいた野菜たちが、お行儀よく並べられた一角から、その歌声が聞こえてくるようです。「フキだよ、フキ!フキの季節だよ~!」
無人販売所の野菜たちに、季節を気づかせてくれた感謝の一礼をしてその場を後にします。そそくさと向かった先は、まだ寒い2月、フキノトウを摘んで春の訪れを噛みしめていた畑の隅っこ。景色もすっかり変わり、葉を茂らせたフキたちがまだかまだかと待っていてくれました。
フキをとって持ち帰り、板ずり、下茹で、皮を剥き、油揚げと炊いて、おかずにします。多めに作って常備菜にするのですが、あっという間になくなるのでまた畑に向かいます。フキを摘む→油揚げと炊く→食べる→フキを摘む。果たしてこれを何回繰り返すことでしょう。おそらく初夏に入ってフキが固くなって歯に繊維が挟まるようになるまで、我が家の食卓にはフキが並び続けます。
そこまで執拗にフキを食べる理由が「ただ、好きだから」では言葉が足りない気がしています。
登山家の人に向けられた、なぜ山になぜ登るのか?という愚問に、彼らは決まって「そこに山があるから」と答えてかわします。それに近いものがあるのですね。「そこにフキがあるから。」
★
フキを食べ続けるこの時期に必ず思い出すエピソードがあります。
昔話で恐縮ですが、青森の津軽半島を相棒と二人で自転車をこいでいた時のこと。日没までに麓の集落にたどり着けないと判断した我々は、峠道の空き地に野営をすることに決めて、まだ陽のあるうちからテントを張る準備をしておりました。
そこへ、地元の軽トラが止まり、中から出てきたばあちゃんとその孫らしき子供に声を掛けられました。
「おめ~ら、ミズ、知ってっか?」首を横に振ると、「ついてこい」と先を歩き、さっさと山に分け入っていきました。沢の近くでしょうか?鎌を取り出しこう言います。「こうやって、摘むだ。さあ、摘め。」
ばあちゃんと孫と、旅人二人で30分ほど収穫したでしょうか。テントに戻ると、こんどは「おめ~ら、湯沸かすもん、あっか?」。
言われるまま、鍋にコンロで湯を沸かし、指示を仰ぎます。口数の少ないばあちゃんは、今、取ってきたばかりのミズを湯がいて、皮を剥き「じゃあな」と孫を連れて帰っていきました。四人で採ったミズは全部くれました。醤油があれば良かったのだろうけど、夕飯はそのミズに塩をかけていただきました。
あの、ばあちゃんにはもう会えないだろうけど。あん時の、ミズ(ウワバミソウという山菜ですが、形態は極めてフキに近いです)。一生、忘れられません。もう一度、食べたいなあ。
そうそう、この話にはオマケがあって、夕餉を終えて、寝袋の準備をしていると、また別の軽トラが止まって、おじさんが下りてきて言いました。「おめ~ら、ブヨ、気をつけろ。」キンチョールの缶を置いて行ってくれました。そのあと、暗い山道、車は一台も通らなかったなあ。そのくらい人里離れた場所で受けた人情でした。
津軽の言葉が悲しいくらいに聞きとれないし、口数も少ない人が多くてね。それなのに、もしかしたらそれだからこそ、心の奥底にぽっと火を灯してくれたのかもしれません。そしてじわじわ、こんな風に一生、温め続けてくれるんですね。
そんな昔話を思い出しながら、今日もフキを炊いています。
★★
数日前、近所で若い畑女子2人と立ち話していた時ね。
「クラモンさんって、以前、ブログ(どろんこLifeのこと)書いてましたよね。私読んだことあります。」Aさんが言いました。
それを聞いて私の眉が数ミリ、ピクリとしたのに気づいたのでしょう。隣にいたBさんが慌てて言いました。「今も続いてるよー。たま~に、更新されてますよね。」眉が更に数ミリ動いたのは、麦わら帽子の庇をさりげなくずらして、見られなかったようです。
はい、現在も継続中で、たまに更新しております。ちょ~ど、今、書こうかなあと思っていた所でした。
読んでくれたことがあると言ってくれた、ありがたい二人の言葉に背中を押されて、どろんこLife、まだまだ、しつこく続きます。
(2023-4-17)
vol.26「ドキュメント吾妻山」
今年も、吾妻山に菜の花の季節がやってまいりました。澄んだ空気にきりりと引き締まった富士山や箱根・丹沢の遠景だけでも圧巻なのに、そこに海の青と黄色い花たちが色を添えます。今日も、この絶景を一目見ようと山を目指すたくさんの人々とすれ違いました。ほんの束の間、この町はプチ観光地に変身です。
話は変わりますが、「ドキュメント72時間」というTV番組をご存じでしょうか?お店とか、公園とか、温泉とか、どこか一か所にスポットを当てて72時間定点(?)観察する番組です。普段は気に留めない日常のごくごく平凡な一コマを72時間ぶん拾い集めて、30分にギュギュっとまとめています。通りすがりの人たちは、それぞれの人生というドラマを持っていて、そんなちっぽけなドラマをそっと包み込むように、店があり、街があり、時間が流れていく。それを見ていると、人間という生きものも、まんざら捨てたもんじゃないなあと思えてくる。この番組が好きだという人を見つけると、ちょっとだけ嬉しくなります。
吾妻山の山頂に、大きなエノキという木があってですね。そのエノキがまるでそこに設置したカメラのように、見ているのですよ、何もかも。そしてそして何を隠そう、私は時々、そのエノキからいろいろなお話を聞かせてもらっています。吾妻山の頂上に、入れ替わり立ち代わりやってくる人間たち、動物たち、季節のうつろいで変わっていく植物たちのお話を。(これから出てくる人たちは、私もよくお見かけするので、間違いなく本物です。)
暗闇の中、躓きながら登ってきて、日の出前のピンクの空をカメラに収める人。望遠鏡を覗いて洋上に浮かぶ豪華客船を特定する人。遠く大山山頂から手鏡反射光でシグナルを送る仲間に歓声を上げる人。誤嚥防止の発声練習をするために毎朝欠かさず上ってくる人。空手をする人。子供たちにマジックを見せてあげる人。オカリナを吹く人。カラスと話す人。石の上で瞑想する人。ギターを弾いて誕生日の友人を祝う人。そうそう前述の番組のエンディング曲をウクレレで弾いて歌ってくれたお姉さんもいました。
何気ない話だけど、なんだか抱きしめたいくらいかわいい営みがそこにあります。できることなら私が、番組のディレクターになってまとめてみたいくらいです。場所は吾妻山山頂広場。サブタイトルは「エノキはみんな知っている」てな感じでしょうか?
時間帯も限られた上に、ここ最近の内容だけでも、ババーッとこんなもんですから、春夏秋冬、昼夜問わずウゴメクものたちの営みを編集したら、壮大なドキュメンタリー作品に仕上がること間違いなしです。
許可さえ下りれば、蔵門製作のこの番組にも、同じエンディング曲を使わせていただきたいと思います。「♪ちゃんちゃんちゃんちゃん」のメロディーの合図と共に、クライマックスの映像。月光が波の上でキラキラ光る海をバックに、大きなエノキのまわりを狸たちが踊っているシーン。その狸ばやしに合わせて木々たちが枝葉で手拍子しているシーン。
「この場所は、人間だけじゃなくってね。たくさんの命を包み込んでくれてたんだね。」エンドロールが流れます。
いやあ、そんなつもりはなかったんですが、いつしかドキュメント72時間・吾妻山編の制作構想(妄想)に話が飛んでしまいました。(あ、疑っていますね。大丈夫です。素面です。まだ昼間ですから。)こんなワタクシに新年早々、お付き合いいただきありがとうございます。
私のどろんこlifeの原点でもある吾妻山ネタで一年のスタートが切れて、一人勝手に喜んでいるクラモンでした。
いま、まさに汗をふきふき長い階段を上ってきている人たち、頂上で頬張るおにぎりをコンビニで選んでいる人たちに、今年も素敵なドラマが待っていますように。本年もよろしくお願いいたします。
(2023-1-6)
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(Photo by m.o)
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