vol.12 「ウコンのほりあげ」
vol.12 「ウコンのほりあげ」
冬の畑は、周りの木々たちが葉を落としている最中で、見通しの良い陽だまりに変わりつつあります。ひとりで、畑にいるとカサカサ、こそこそ、枯葉が降ってくる音がにぎやかで、こんな世界があったのかと驚くくらい。一人ではもったいないので誰かに聞かせてあげたいなあと、思いながらしばらく佇んでいました。
ここ数日温かい日が続き、12月だということを忘れてしまう陽気に、秋ウコンの株のほりあげをすっかり忘れていました。なんとなく面白そうなので、知人にいただいた株を、春に畑の隅に植えておいたもの。秋にとってもゴージャスな花が咲きました。(いつものように、花が咲くまで、すっかりその存在は忘れていたのですが・・・。)
花が枯れたら、その株をほりあげて、親株を温かいところに保存して、それ以外を収穫します。オレンジ色のしょうが根の部分を丁寧に洗い、スライサーでスライスして陰干し、そして粉末にすれば、カレー粉に使われるターメリックの完成。気が遠くなるスローフードですね。もちろん、春ウコンほどではないそうですが、少なからずの薬効はあるとのことで、ノンべの私の肝臓に救いの手を差し伸べてくれる日が来るかもわからない。とりあえず、保存できる状態にしておきたい本能が働きます。
再びぶり返した風邪で、ふらつきながら畑に行き、よろよろとスコップを使い株をほりあげ、収穫を完了しました。一番の難関は、そのあとの工程で、ずーっと大量のウコンを洗う水仕事をしていたら、さすがに病状悪化です。結果、今日一日寝込むことになってしまいました。それでも、霜が降りて、株がやられてしまう前に、なんとか終えられて良かった~。ほっと胸をなでおろしています。ただ、今ふと思ったのは、カレー粉がそれほど大事なわけではなくて、そこにウコンがあるから、救出に行く。その単純な思いだけに突き動かされている気がします。強いて言えば、あの花をもう一度見たいという理由もあるんですけどね。
自然の中で、暮らしていて、いつも思う事は、「自然には絶対で、抗えない。」ということ。ただもう従順に従うしかない。雨がふるぞー、といえば雨の準備をし、霜が降りるぞーと、いえば霜の準備をする。
「ちょっと、待ってくれませんか?」なんていう陳情は心の中だけで、とどめておきます。
とんでもなく広い地球という大地の、点ほどにみたない場所で、ちっぽけな私たちが、自然の中で生かされている。いつもそう、思います。(2016-12-26)
蔵門のこと
ついに今年も残すところ、あと数日。最後のさいごに、再び風邪をぶり返し、この原稿も『送信』ボタンを押せるかどうか、かなり疑わしい状況にあります。例年、この時期は、仕事収め→ミニ門松作り・配達→年賀状→大掃除の順で怒涛のスケジュールに追われています。最初は几帳面なもともとの性格に後押しされ、「きゃーっ!」と叫びながら正面から挑もうとはするのですが、すぐに「退却じゃ~!退却!」大人になってから形成された潔く、かつ諦めのいい性格が大鉈をふるって幕を下ろします。と言うことで、例年、年賀状の途中で、除夜の鐘を聞きますが、今年は、もう年賀状を諦める線で、自分と折り合いをつけているところです。
それでも、諦めきれないことが一つ。昨日、あまった玉ねぎ苗を300本ほどいただきました。畑は無用に広いだけで、受け入れ態勢不十分。かといって、このカラダで一日、耕運機をかけて土を作り、クワを振るったら、撃沈は免れず正月のごちそう全てを棒に振るうことになります。
どうしたものかのう~。玄関に置かれた大量の苗を見ながら、諦めきれずうじうじと悩む蔵門でした。
みなさまは、風邪を引かずに、良いお年をお迎えくださいね。
『追記』パッションフルーツのこと。先月挑戦した、追熟作戦。やはり、木で熟すのが足りないようで、追熟後、見た目、食べごろに変化しても、ほとんどの身が中身はカサカサで食べられずに終わってしまいました。こっそり商品名まで考えていたのに・・。残念!来年、再チャレンジするからねえ。