vol.17「枯れる」
vol.17「枯れる」
サトイモの葉っぱがね。何日も続く酷暑と雨不足のせいで、あちこちの畑で枯れてきました。周りが茶色に変わって、ガサガサと悲しい音を立てながら風に揺れています。
鏡に自分の顔を映すとね。元々、あんまりなかった眼力(メジカラ)が、完全に消失し、肌もタル~んと揺れています。こちらは恐らく、暑さとコロナ禍で心の潤いを失っているせい。鏡の向こうで誰かが言います。「お前はもう、枯れている・・・。」いや~、参りました。
山の木がね。ものすごい勢いで枯れています。軽トラで走り回る数キロ圏内を見回しても、我が家の窓から見える吾妻山の山肌でも、ナラ枯れ病が急速に進んでいるようです。
久しぶりにどろんこLifeの原稿に向かいます。こんな酷暑こそ、背筋も凍るおどろおどろしいネタに乗せ、少しでも涼風をお届けできれば良かったのですが、いかんせんこちらも壊れています。「どよ~ん」の連鎖を招く「枯れる」三連発の書き出しとあいなりました。
ところで、昨年のこの場で書いたカブトムシネタ、覚えてますでしょうか?
「今年はもう飼わない」と言っていたのに、懲りずに一匹だけお世話をいたしました。冬、やはりまた畑の堆肥に突き刺したスコップで掘り出してしまった幼虫が、それはもうものすごく大きかったわけでして。「これはきっとヘラクレスオオカブトに違いない。やったあ、自慢できるぞ~!」ルンルン鼻歌交じりに持ち帰りました。コロナ禍の自粛期間もこの飼育箱で気を紛らわせ、気が付くと半年以上の月日を一つ屋根の下で、共に暮らしてまいりました。
もしかしたら、羽化を忘れ、土中でミイラ化してるんじゃあるまいかと、案じはじめた7月下旬、当初の期待を大きく裏切り、小型のオスが漸く顔を出しました。そしておまけに、すぐにひっくり返る。自分では起きあがれない弱っちカブトムシでありました。とにかく、山に送り届けるまではと、昨年の残りの昆虫ゼリーをちゃんこ状態で与え続け、体力をつけさせる日々。
そんなこんなで、無事、8月のあたまに畑の栗の木に乗せてやるという別れの儀式を行いました。案じた通り、その“弱っち”は後ずさりして樹上から降りようとする始末。こんなんで、あとひと月の余生を森で過ごせるのかと心配して見守ること数分。ちゃんと入るのですね。野生のスイッチ。人(虫)が変わったかのように、グングン幹を鷲づかみして天を目指して登り始めるではありませんか。その背中には限られた命を生きる強さがみなぎっていました。その姿を見ながら、面倒くさいけど、飼ってよかった。「感動を残していきやがったぜっ!」
やがて、栗の木のてっぺんに達し、初めてその羽を広げ森へ帰っていきました。めでたしめでたし。としたいところなんですが・・。ちょっと、まてよ。カブトムシのご飯はクヌギ、コナラ、ミズナラの樹液ではありませんか。で、冒頭のナラ枯れ病の被害はまさに、このナラ属の木なんだよね。
てーことは、これからカブトムシも生きられなくなる。
ちょっとアトダシですが、夏休みの宿題です。ナラ枯れ病について、ちょっと考えてみませんか?犯人は、キクイムシです!なんていう単純なわけはなくって、もっとかなり複雑。で、できることなら、山で木が枯れている景色を見て、その不自然さ異様さに気づいてほしい。情報過多のせいか感度が落ち気味の「ん?何か変だぞ?」センサー。みんなで持ち続けたいなあと思います。
憂うことが山のようにある今日この頃ですが、いつも力をもらう自然が壊れたら、いつかは自分も枯死してしまう。どろんこLifeが一日でも長く続けられますように。
(2020-8-21)