vol.3「畑に向かう理由」
vol.3「畑に向かう理由」
「畑に向かう理由とは、なんぞや。」
吾妻山を眺めながら、洗濯物を干す手をとめて、ふと考えてみました。
① 安心・安全な野菜をつくりたい
② 畑を商売につなげたい
③ 仲間や御近所さんと作物を交換するのが、わしゃ生きがいじゃ
皆、それぞれの想いで畑に向かっているんでしょうねえ。
私は、と言いますと、上の3つは全て結果論であって、目的や動機かと問われれば首をかしげざるを得ません。(ちなみに「安心・安全」という言葉は、胡散臭い人が使うことが多くなって以来、この言葉を聞くとなぜかクシャミがでます。)
「じゃあ、理由は何なのよ。」
無秩序に山肌を彩る桜の木々に感心しながら、自問自答を続けてみます。
蔵門いわく、
「畑に身を置くことで、自分も自然の一部なんだって感じる瞬間が好きなのかなあ。」
植物があって、鳥が鳴いて、風の音がして。足元の下では、ヤオヨロズの微生物たちがうごめいていて、ふと気がつくと、てんとう虫やイモ虫たちと同じ目線で世界を見てる。
そして同じ自然でも、山や庭ではなく向かう先が畑である大事な理由。それは、ただ身を置くだけじゃなくて、生きるために(食物を得るために)知恵をしぼり、地面にはいつくばっていること。その時、はじめて自然の一部になれる。そして、自分が、無理せず動物でいられる。なんだか、そんな気がするんだよね。
「だってぇ~、どろんこ遊びしたいんだもん。」一応、大人としてはこの答えではかっこがつかないと思い、ガラにも無く大層なことを書いてしまいました。
満開の桜の花びらが洗濯物をかすめて飛ぶ様に目を細めながら、
「お~っと、今日も手が止まってる。」
では、このへんで。
(2018-4-5)